昭和47年2月6日 特別奉修委員



残ったものは、なにか、銘々、安心しておかげを頂かねばならんと思うですけれど、まあ、御祈念前に、あの、北野の宮崎さんがお届けいたしまして、勿論、息子さんの、今度、高校入試もありますし、親子夫婦で、今回修行が、あー、毎日、そういう迫力を持って願いがありますから、あー、お参りが出来たんですよね。そして、えー、一月間、例えば、お参りし終わって、分かったもの。これはもう、永年の信心ですけれど、おー、本当にあの、信心をさせていただかなければ、馬鹿らしいという事が、あの、おかげを頂くから、頂かないからというのじゃないですね。今日の私のお届けは。もう、本当に人間として、もう、この世に生まれてね。信心を頂かなければね、こらもう、大変なことだった。信心を頂いておったという事が、もう、本当に有難かったというてます。私はね。あの、そこのところの、あの、信心の根本的なとこがね、分かってからでの信心でなからなければ、信心な、楽しいものにも、有難いものにもなってはこないと思いますよね。自分の都合の良かりゃ有難いのである。都合が悪かりゃ、もう、有難くなくなってくるのですよね。信心というものは、もう、おかげを受ける。例えば、そりゃ、なるほど、あのー、腹を立てて馬鹿らしかと、例えば、清さんあたりの表現ですけれどもね。実際はね、馬鹿らしいであっとじゃないとですよね、清さんのは。そげん言うたら、一番みんなに分かりやすいから、そういうだけのことであって、実際は、信心というものがですね。もう、根本的に、あの、腹かかんで、例えば済むほどしのおかげなんですね。それと、あの、まあ、皆さんも、一人ひとりのお届けを聞いてないけれども、もう、今度の寒修行で、もう、大事だと思うですね、宮崎さんの、ここのところが分かられた。もう、しかも、それが本当にもう、それこそ私はあの、宮崎さんは、大体、強いお方ですから、目に涙どん出されることはないですけれども、今日ばっかりは、目に涙してから、その事をお届けされるんですよ、ここで。もう、本当に最高、あの、今度の寒修行で、あんたが最高ち言うて、私は思わせていただいたんですけれどもね。もう、本当に信心せにゃ馬鹿らしかという、そのものがね、おかげを頂くとか、頂かんとか言う事じゃなくてもう、人生の最大事をね、今度の寒修行によって分からせていただいたと言われるわけなんです。ね。今日のあの、私の御理解じゃないですけれども、いわゆるあの、出たとこ勝負。しかもその、こう角が取れたもう、やんがて丸いという。だから、和賀心という事はね。そういうその、もう、出たとこ勝負を、有難く、または勿体なく、または、相すいませんと、受けていく以外ないです。これがね。和賀心になって行く過程なんです。それに、もうひとつ言葉を変えると、天地日月の心になること肝要という事になるのです。ただ、問題は、その、出たとこ勝負なんです、問題は。ね。もう、ほんとにあの、そこんところをね。真で、真心で、出たとこ、そこんところを受けていかなければね。
私は今日、平田さんのお話を聞かせていただきながら、私とは違った意味合いにおいて、えー、それも内容だと思わせていただいて、心強く思ったんですけれど、もう、とにかく、金光教でなからなければ、本当の助かりはないんだと確信しておられるところですね。もう、私が、いわゆる、あの、四、五日前から申しておりますように、えー、とにかく、宗教革命ですよ。ね。それは勿論、あの、御道の信心も含めてです。御道の信心自身、自体も革命して行かなければいけません。それは、どこに革命の焦点が置かれるかというと、今日、平田さんの仰ったところもそうですけれどね。けれどおも、一番根本になるところは、結局、和賀心時代を作るという事。それは、先ず、自分の心のなかに、それを作るという事。ね。本当に、あのね、宗教革命という事が、あの、なされなければならない。声を大にして言わなければおられないほどしに、金光様のご信心は素晴らしいんです。その素晴らしいという事を、金光教によって、宮崎さんが分かられたという事が、また、いよいよ素晴らしい、ね。金光教によって、それが分からせていただいた。ね。えー、今日の、断片的でしたけれども、昼からの御理解、特にお話の中にですね。非常にあの、得るものがございましたですね。けれどもあの、こらまあ、取次ぎ者として、一番実感したことは、甘木の初代がね、例えば、田んぼのいろんなことにお届けに行った時に、色々ご理解をなさった。自分の田んぼと場所のことは、自分が作るとばし思うとるかというご理解を、懇々と説かれた後でね、説かれた後で、それでもね、間に合わんからと仰った。ね。もう、相場が分かってしまうとおかげやらんという神様じゃない。間に合わんから、とても、あげな事の言える先生が、今頃、あるじゃろかと思うですね。いわゆる、理解申して聞かせ、えー、願う氏子におかげを授け、理解申して聞かせをもう、はっきり、あの、甘木は、そこのところを、行の上にあらわせておられた。おかげの上に現せておられた。取次ぎの上に現せておられたという事が言えるのですね。なら、教えることだけは、芯から教えられた。そりばってん、さあ、今、分かったっちゃ、もうその田んぼん、もうその、おー、ね。出来損なうことをおかげ頂くちいう事は、もう間に合わんち。間に合わんから、おかげだけは、やるばってんね。ここがわからにゃ出来んよと、こう言うておられるところをね。もう、さすがに甘木の初代だと思うですね。私共も、あそこのところが言えて、本当にそういう、願う氏子におかげが授けられる取次ぎ者に、私はならせていただきたい。私は、大変、そこのところを感動していただきました。皆さんも、それぞれに頂いたことであろうと思うけれども、結局ね、今日の私は、あの、焦点は、あー、いわゆる、あの、最高のものね。もう、出たとこ勝負なんです。もう、五が出りゃいい、三が出りゃいいてんなんてんちいう事はあっちゃならないです。もう、出たとこ勝負、そこを即、有難く受ける以外にはない、ね。ですから、あー、そういうあり方の中から、そういう、あり方が体得されるところからです。本当に、金光教に縁を頂いておって良かった。今度の寒修行で分からせていただくことは、ここだったと宮崎さんが言っておられる。ここを、ね。ひとつの、昨日から言ってる、一身上です。そこまでは、お互いが、出てからの信心の稽古でなからなければね。信心が、本当に、せっかくな金光様のご信心が、あー、なんち言うかね、もう、どこにもそこにもあるような信心と同じような事になってくるです。本当に、宗教革命が必要であるという事をね。金光教によって、本当に助かっておられるという事を、そのような感じが致します。